こどもと連句


こどもの感性が敏感に反応

 大人たちがやる連句(俳諧)に関して松尾芭蕉は「俳諧は十歳の童子がやったほうがマシだ」という意味のことを語った、と伝えられています。それは、いうまでもなく大人というものは、知らず知らずのうちに身についてしまったいろいろな観念のほうが支配力を持ってしまって、その原点である感受性がマヒしてしまっていると、芭蕉も実感したのだと思います。、基本的な「感性」の響き合い、それは大人たちよりも童子たちのほうが良好、いわば感度良好なのだと言った、と捉えることも出来ます。

 大人より子どもたちの方が率直(そっちょく)なのは、誰にも異論はないはずです。その「素直(すなお)さ」を、歪んだ現代という社会そのものが削りとっている、ということについても、誰も異論はないだろうと思います。

 学校教育が疲弊し、家庭教育が崩壊し、本来、素直な子どもたちの感性は、少しづつ歪み始めています。(子どもは素直、という認識そのものに異論を抱く方もおられるでしょうが、哲学的論議は「こどもと連句」には不似合いなのでやめましょう)

 連句は、本来素直なはずの子どもたちの「本性」と、敏感に響き合います。
 連句入門編から実践編までの「連句を巻く時の決まりごと=式目」は、小どもたちを主体にした連句では、月や花の定座を確保するくらいにとどめておいた方がいいのかも知れません。

 誰かが五・七・五で話す。それを耳を澄ませて聞いた子どもたちが、自分なりにイメージして、そこから「ぴ〜ん」と浮かんでくることを七・七で話す。そして、それを五・七・五で、次は七・七で。という風に続けていくと、子どもたちは大人よりもむしろ大きな宇宙を描きはじめます。

 子どもたちは遊びに関しては、本来、工夫ができるものでした。それが今では、大人が必要以上に用意してあげないと、何も出来なくなりました。これは子どもたちに原因があるのではなく、そうです。ご承知にように、大人たちのエゴにあります。

 自由にイメージしておおらかに話す。この基本を連句に接することによって、子ども自らが自分たちの感性で呼び戻すことが可能になります。

連句と遊ぶ

 連句を巻く時の決まりごと=式目を取り払うと、子どもたちは、自分たちで連想の世界をつくりだします。そして、自分たちで決まりごとをつくっていきます。

 「今日は尻取り形式でやろう」「今日はこれから行ってみたい所を考えながらやろう」等々、子どもたちに、その連句の世界を手渡せば、オリジナルな子ども連句も誕生するはずです。

まずはやはり「百聞は一見に如かず」

 子どもたちの感性、それを響き合わせる連句を、子どもたちがやる前に、まずは大人たちが「連句に潜在するもの」を知る必要があります。
 連句は、今の子どもたちに欠けてきたもの、教育の現場に欠けてきたもの、それを補って、さらに育んでいける貴重な文芸の要素を持っています。
いずれは、国語の教科書にも、俳句と一緒に連句が取り入れる時代になって欲しいものです。

 ちなみに大学生の間では、大学の講義あるいは自主講座などで連句が、なかなか人気になっている所もあります。もう、大学生は大人です。式目を踏まえ、連句のセオリーを理解しながらやっています。
 子どもたちにそれを求めると、無理がきます。決まりごとは二の次で、自由でいいのだと思います。小学生、中学生、そして高校生と、それぞれに楽しみ方は変わっていくものだと、そう考えています。

 私たちは、どこにでも以下のように「出前」します。どうぞ、気軽にお声をおかけください。

山口県内ならどこにでも「出前」致します。

但し、海の中や川の中は遠慮させて下さい。

島・山・田んぼ・川岸などでもOK、
基本的に道・路がある所ならば
どこにでも参上します。
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いざ、出番だ。
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やまぐち連句会事務局


※このページは、暫時、追加および加筆修正していきます。


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