見えてきたJA/農協帝国の凋落
軌道修正が不可能な組織としての農協の姿の行方。


いつか来た道を繰り返すJA/農協

 誕生して50年の農協組織はいま、時代の節目の二巡目を迎えている。そして、余分な要素や理屈を取り除いて、その二巡目の節目を見ると、節目ごとの対応が、あまりにも「いつか来た道」のこれまでに似かより過ぎているのに気付く。

 例えば、現在進行形の農協合併や統合の姿は、1961(昭和36)年から1970(昭和45)年の10年間で実施された合併の構図や統合の姿に似ている。また、現在進行形のさらなる減反受入れは、1966(昭和44)年からの減反開始で取った農協の姿勢によく似ている。そして、輸入自由化や食管廃止に付随した補助金農政にぶら下がった農協の姿は、1961(昭和32)年の農業基本法農政に従属していった図式に似ているし、住専処理とその後の農協の姿は、1950(昭和25)年の農協救済と、その後の政府の農協支配の図式に、あまりにもよく似すぎている。

 にもかかわらず、大きくなり過ぎた農協組織は、大きくなり過ぎたがゆえに、自らが何をどのようにしているのかも気が付かない内に、それよりもさらに大きな網に掛り、抜き差しならない世界に引き摺り込まれ始めているのだった。

最も中途半端な組織になったJA/画一化から硬直化に向かう農協組織の寿命

 農業者の相互扶助を目的とした協同組合の顔と効率的経営を展開しようとする総合商社の顔と信用事業に寄って立つ金融機関の顔と農政に連動する下請的出先機関の顔。それらの顔を併せ持ち、用途に応じてその顔や機能を器用に使い分けて巨大化してきた農協組織。

 しかしそれは、一方では、その姿が変幻自在であればある程、協同組合としても、金融事業にしても、商社的活動にしても、保険事業にしても、すべての取り組みを中途半端なものにしていき、今では逆に、どの面においても時代遅れで独創性のない組織としての姿を、より鮮明にしていくばかりなのだった。

 そして、これまでの農協組織というシステムが、その性質を大枠で示してきたものは、「組織化は、おおむね上意下達的な発想による指導・強制に極めて便利という利点以外には、その性質は、殆どあり得ない」という事だった。

 また、農協組織が、実際の取り組みの中で示すものは、「さらに世の中が複雑になればなるほど、独裁的な手法が尽くされ、その側(特に中央組織)が執り行ないたい事柄は、すべて巧妙に、多くの人が望んだように見せかけようとする」事だった。

 これまで以上に農協という組織は、政・官を相手にした政策交渉に明け暮れ、農政と一体となって施策を推し進め、金融や共済事業にも固執しながら、「より大きいことがいいことだ」とする単位JAの広域合併を代表とする一元化と画一化の取り組みに邁進していく模様だ。すると政治の世界がそうであるように、挙句は、偽善と猿芝居が日常の作法になり、これまで以上に人は、理性に背を向けて茶番の世界に生きる事になっていくのだった。

 そして最終的には、金融や共済事業に固執するあまりに金融ビッグバンの中で完全に落ちこぼれ、農協の存在理由の正否や存在価値は、否定されこそすれ肯定や支持されることもなく、徐々に、そしてある時期を境に一気に凋落していく様相を呈しはじめている。

農協の項、おわり

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1996年小社刊行の『農の方位を探る』から抜粋/転載厳禁
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