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少しは冷静になった?

 高揚感丸だしの恐ろしい現象とも取れる「イケイケどんどん」的な新法制定による米軍支援に対し、国内で何となく慎重論が広がってきた。
 政府内でも「小泉首相とブッシュ大統領の会談を見て、調子に乗り過ぎで危ないと思った」との声も出るなど、やっと少しは、落ち着きを取り戻しつつあるような気配でもあった。

 しかし、アメリカの報復攻撃で、自衛隊が米軍などを後方支援できるようにする新規立法は、議論が尽くされずに、早期成立が優先された。

 新法における自衛隊の武器使用の範囲については、「憲法の枠内で」としたうえで『慎重対応』の四文字さえ明記すればいい、とのコソクな意見も濶歩した。米軍がタリバン攻撃に使用している巡航ミサイル・トマホークの発射が戦闘行為に当たるか否かでは、「ミサイルが発射後に自動的に目標に到達して爆発する構造になっている場合は、発射行為を戦闘行為とみなすが、発射後に人の誘導などを受けて初めて目標に到達して爆発する構造の場合は、直ちに発射行為を戦闘行為とはみなせない」「よって、その艦船に自衛隊が補給するのは、なんら問題ない」とする詭弁も出た。
 一方で、議員さんも時間がたつと冷静になるのか、「国際情勢や世論もどうなるか不明で、あまり踏み込まない方がいい」との判断や、報復攻撃を是とした上での自衛隊の後方支援実施という一方向しか向いていない選択肢に対して、「果たして本当にそうなのか」という疑問も出るなど、「真摯な姿勢が出始めた」と思わせる雰囲気も漂っていた。そして、与党単独での成立を前提にしながらも、首相サイドの独断先行を含む「泥縄的かつ、なし崩し的な法案」への最終的な国会での賛否は、「早急には決せない状況」という見方も若干ではあるが漂っていた。
 が、「政権運営の無難さに向けて」という損得勘定が勝り、自公保という与党単独の判断による新法の可決成立へと向かってしまった。

 国民レベルでは、報復攻撃に対する批判は根強い。こうむった惨事に対して嘆きや怒りをあらわにしていたアメリカ国内でも、報復攻撃に反対する大規模な反戦集会が、ワシントン、サンフランシスコ、ロサンゼルスなどで開かれはじめ、「戦争では何も解決しない」「これ以上、犠牲者を増やすな」「戦争は罪もない人々を殺すことになり、新たな敵を生み出すだけだ」「ブッシュ政権は、我々の嘆きを軍事行動の正当化に利用しようとしている」などとして「反戦、反人種差別」を訴える動きも顕著だ。
 しかし、どの国でも国民の意思と大きくかい離しているかのように「政府」判断による独断先行が華々しい。

 「何々したら、何々すれば」の「たら、れば」は無用だが、今、一人ひとりが、冷静に「戦争はやめろ!」の声をあげ続ければ、新たな悲劇は、少しは止めることが出来るのかも知れない。報復がさらなる報復や新たな悲劇を生み出す前に、「中東で必要なのは戦闘ではなく和平だ」の認識と「日本が示す姿勢は、新法制定ではなく、戦争の放棄と、いかなる場合でも戦闘行為に対する支援は行なわない、とする毅然とした態度だ」の声が、強く求められている。(01・10/17)

※関連記事:コラム「無限の正義」?「不朽の自由」?

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誤った兵庫県明石市の歩道橋事故での「茶髪の若者=悪者」の憶測・推測報道。

 花火大会で見物客ら165人が死傷した兵庫県明石市の歩道橋事故で、事故前後に目撃された髪の毛を茶色に染めた若者の動きについて、「彼らの行動が被害を広げた」との報道が一部であったが、実際には、その若者たちが、救助や通報のために積極的に動き回っていたことが、目撃証言などで次々に明らかになった。

 一時は、茶髪の若者=悪者という古くさい固定観念からか、茶髪悪者論として決着を図りたいのか、「髪の毛を茶色に染めた若い男性が通行人の頭に乗るなどしていた」「歩道橋の天井に登って奇声を発し、機動隊員が制止すると、飛び降りて体当たりした」など、マスコミを通じてまことしやかな話が飛び出していた。しかし、日が経つに連れて、その取って付けたようなメッキ話は剥がれはじめたようで、若者たちはこれとは正反対の行動をとっていたようだ。

 歩道橋の天井に登って騒いでいたとされる茶髪の若者は、実は、仲間と協力して意識を失っている子供らを引き上げるために天井に登り、子供らに新鮮な空気を吸わせていたり、状況説明するために携帯電話を使って大声で110番通報するなど、混乱のなかで、自分たちが取れる最低・最大の対処方法を考えて、積極的に救援行動をとっていたことが浮き彫りになっている。
 捜査本部も事故と茶髪の若者の行動の関連性に関心を持って事情聴取を進めていたが、聞き取り証言などから「暴行や騒乱などの事実はない」と断定した。

 主催者の市は、見物客の動向予測すらせず、ただただ花火を打ち上げ、見物客誘導という基本を怠ったかと思うと対処も遅延の限りを尽くし、さらに今度は、市の幹部職員と警備会社の担当者などが「茶髪の若者が暴れたのを事故原因としよう」と口裏を合わせるなど、茶髪に染めた若者のとった素直な行動とは逆に、白髪が混ざりはじめた大人のズルさのほうが鮮明になりはじめているようだ。(01・8/4)

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夏だ!祭りだ! 選挙で踊る「改革」だ!

 7月12日に公示された参院選挙は、中身が曖昧なままの「構造改革」の4文字と、これまで、つのりにつのった自民党不信への反動による異常なまでの小泉人気の中で、異例の有権者の関心度合が高い国政選挙になりそうだ。
 ほとんどの者が、「小泉現象」が有権者の投票行動にどう影響するのかに関心を示し、「聖域なき構造改革」へ熱い視線を向ける。

 6月の東京都議選の例をあげるまでもなく、嫌われ者の森前政権時には大敗が予想された自民党が、「瓢箪から駒」あるいは「冗談から胡麻あえ」のように(?)息を吹き返し、都市部で著しかった保守離れまで、一時的に止まった。そして、凋落寸前の自民党は、完勝に近い結果を得て、野党は逆に一気に後退した。
 その後も自民党の復調は全国的な広がりを見せ、無党派層も小泉自民党に引き寄せられている。参院選の結果は未知数だが、野党の腑甲斐なさが加味されて、投票に至らずとも自民圧勝が今の世相だ。

 靖国神社参拝に象徴される首相の「タカ派体質」や、曖昧な支持率に依存した小泉パフォーマンスに対して、嫌悪感や疑問を示す者も少なくない。しかし、最大の争点が「小泉内閣が掲げる構造改革」にあるため、アメリカに迎合する同盟姿勢や国際的な立場への配慮に欠けた政治姿勢、ナイーヴさの欠落などの動きは、それがこれから先、厄介なものになるのだが、今回の参院選挙に関しては、どうやらカヤの外らしい。

 東京・有楽町での小泉首相の選挙戦第一声は、「この選挙でみなさんが自民党に支持を与えてくれるなら構造改革を実行に移す。具体策を提示していく」だったことから、自らも、「中身がある」と言いながらも、掲げる構造改革の実情は、かけ声だけの改革、はったり満載の改革に成りかねない、というコトを認めている、というのが偽らざるところだ。

 時節は夏。あちこちで汗が飛び散る夏だ!祭りだ!「みこし」でワッショイ!に、選挙で踊る「改革」だ! が加わった。
 内容が定かではない「構造改革」の4文字に、踊る阿呆に観る阿呆 同じ阿呆なら踊らにゃ損損とばかり、重量感が欠落したミーちゃんハーちゃん的な選挙戦が、このクソ暑さの中で投票日の7月29日まで展開される。

 人気先行の小泉内閣はまだ2カ月で、こんな時期に是非の判断を求められても辛いものがあるのが現実。そんな中、あなたは、人気便乗型? 冷静な判断型? 迎合型? ムード型? ミーちゃんハーちゃん型? 構造改革信任型? それとも棄権型?(01・7/12)

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マッチポンプとプロパガンダで
野党の「内閣打倒」共闘、風前のともしび

 これまでの自民党利権政治に対する反動で、その欲求不満が数字として反映された小泉内閣の高支持率を前に、つい先日まで「内閣打倒」共闘で燃えていた勢いのいい野党が、もっぱらシラケ始めている。

 最も変貌したのが民主党で、参院選を前にして、滑稽にも人気に便乗でもしたいのか「改革を掲げる首相を応援する党」としてのアピールに躍起だ。
 ちょっと前までは、自民党への逆風を味方にして、野党選挙協力によって参院選で与党を過半数割れさせ、衆院解散に追い込んだうえで政権を奪取する、というシナリオを描いていた。

 しかし、実際に自民党への逆風を利用し、それを逆手に取ったのは、何を隠そう本家の自民党。腐った自民党を、腐らせた自民党員らがマッチポンプの代表のように自ら批判して、みごとに小泉内閣を誕生させて政権を維持した。
 これに加えて、止せばいいのに、いつもの悪癖なのか、テレビを中心にする大手商業マスコミが、浮かれ病に犯されたかのように「国会劇場」などと銘々して小泉パフォーマンスをオンエア、小泉人気をプロパガンダ然として扇動する始末で、節操がない。

 雰囲気的には「大衆操作」にも匹敵するこの動向だが、勢いは上昇気運のため、内閣批判は変り種の屁理屈か、はたまた嫉妬などとしか国民の前には映らず、批判勢力をはじめ野党は、すっかり元気喪失状態だ。

 自由党は、小沢一郎党首が首相の改革姿勢を「国民を欺くもので、全く無責任」とこき下ろし、テレビCMで、旧体制ロボットに立ち向かって「日本一新」と訴える野党らしさを演出しているが、どこか哀愁が漂い、そのCMは、自爆シーンとも受け取られかねない様相だ。
 また、対決姿勢を鮮明にしている社民党も、土井たか子党首が、靖国神社参拝や憲法問題などで小泉政権のタカ派的な性格を批判し、護憲勢力へのアピールを強めているものの、政策展開や取り組みにおいては弱体化する党を辛うじて維持するのが精一杯という正直な喘ぎ声は隠しようもない状態だ。
 共産党に至っては、イラ立ちをあらわにするかのように矛先を野党に向け「自民党政治と対決する上での政策的足場を持てない弱点が噴き出した」と他の野党批判に転じるといったあんばいで、野党全体が党利党略を超えて一致した「内閣打倒共闘」の灯は、浮かれた小泉人気に煽られて消滅寸前になっている。

 ドタバタの中で間もなく参院選。結果としては、崩壊寸前の自民党は、解党的出直しを訴えて支持を得た小泉内閣誕生で息を吹き返し、逆に野党が解党出直しを迫られる時を迎えそうだ。そして、その先に待っているとされる「政界再編劇」に至るまで、野党が元気さを維持するのは、どうやら至難の技のようだ。(01・6/4)

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「ピースマーク」と笑顔

 「平和」といえば条件反射的に脳裏にうかぶのは、スマイルの似合う黄色い丸顔の「ピースマーク」。
 その考案者、アメリカ・マサチューセッツ州在住のハーベイ・ボール氏が4月12日、79歳で他界した。

 ボールさんは63年、保険会社の依頼でスマイルマークを創作した。70年代に人気が爆発し、スマイルマークのバッジは5000万個以上も売れ、平和の象徴「ピースマーク」として世界中で流行した。
 しかし彼は、ずっと商標登録もせずに暮らし続け、スマイルマークでの収入はデザイン料の45ドルにとどまったものの、その流行をにっこりと微笑みながら受けとめ続けていたという。

 わたしたちの多くは、スマイルマークは知っているものの、彼を知る立場にはいないので、ボールさんの心境や思いを知ることはできなかった。

 しかし、推測することはできる。彼は、第2次世界大戦でアメリカ陸軍兵士として悲惨な地上戦となった沖縄戦にも従軍した経験があることから、こころの底から戦争のない平和な国の成立と、笑顔の絶えない幸福な生き方が、何にも代えることが出来ない貴重なものだと実感していたに違いない、ということを。

 いまだに紛争は絶えないものの、平和主義は定着傾向にあり、緊張は緩和されつつある。文明も進歩し、世は21世紀になった。しかし、眉間にシワを寄せる人や、苦虫を噛つぶしたような顔や、悩みを一手に背負い込んだような風貌の人や、せせこましく動き回る人など、潤いのない人が増えた。
 それに反比例して、にっこりと微笑む、その笑顔が素敵な人、というのは、めっきり少なくなった。

 心地いい響き、Love is Peaceという言葉。
 その響きに乗って、Smile is Peace(スマイル イズ ピース)を想い、つくり笑いではない本来のスマイル=笑顔の大切さを「ピースマーク」を見つめながら、いま一度、改めて実感したいものだ。

 貴方の笑顔は、イケてますか? (01・4/14)

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わが国の首相の器(うつわ)

 「亡父の墓参訪ロ」の次は国賓主催行事ドタキャンで「すし屋」行きのわが国の首相。
 先のロシア訪問で、亡父が分骨されたイルクーツク近郊の墓に参るついでに首脳会談を行なったかのように衆院本会議で指摘された森首相は、これに対して「極めて失礼」「不快感を持つ」と激怒した。しかし、その夜、迎賓館で開かれたノルウェーのハラルド5世国王主催の「訪日記念コンサートレセプション」への出席をドタキャンして、赤坂のすし屋で、森派の中川前官房長官らと会食するという異例の、国王側からすれば、不快感を持って当然の「極めて失礼」な行動をとり、国民から「またか、おっさん」と呆れられている。

 このおっさん(失礼!)首相は、問題視されることにまたまた不快感を示し、「人の都合なんて聞かない。勝手な批判ばっかりだ」と、腰痛のつらさを持ち出してすねまくる。
 すしを食ったり、料亭で密談がらみのグルメを繰り返せば、太る。太ると腰痛には悪い。しかし、これは自業自得。

 すねるのは勝手だが、一応、わが国の首相。基本的な公務については、まっとうする義務を有するし、自己管理も基本中の基本。
 しかし、それが出来ないばかりか、しなかった問題や能力の限界を指摘されると、逆ギレする器の小ささ。

 いったいこれは何に起因するのかが気になるとろでもあった。
 「亡父の墓参訪ロ」で、ああそうだったのか、と、多くの国民が知るところとなったのが、父親はどこぞの町の町長だった、ということで、多くの国民がここではっきり得心した。それは、このおっさん、首相の器ではなく、DNAも含めて地方自治のために働く町長の器だった、ということ。
 そして、密室でこの器を、内輪で首相にあてはめようとした5人組とやらも、その程度の器で、村や町の助役か収入役にピッタリだということ。国政レベルではダメでも、地方自治では、いい仕事をするに違いない。

 後継者は誰か、ということが今、話題になっており、誰がなろうと変りようがないのが実情だが、せめて、この「器」ということだけはしっかり掌握して決めてもらいたいものだ。
 でも、適合する器がない、というのも既成政党の現実ではあるのだが。
(01・3/29)

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ハイエナ

 3月16日の都議会予算特別委員会で、石原都知事は、共産党を指して「ハイエナという非常に下劣な獣に似ている」と、吠えた。
 これは、公明党議員が「共産党はビラで、ディーゼル車規制や外形標準課税の導入など、知事の大英断によって実現しようとしている施策を、自分の党の成果だと言っている」と指摘し、知事の見解を求めたのに応えて発言したもので、「デマゴーグは政治に付きものだが、何と言っても共産主義の特色」と前置きした石原知事は、「他人のやった仕事を横取りする、他人の獲物を横からさらう、まあ、アフリカにはよくありますね、ハイエナという非常に下劣な獣が。それに非常によく似ている」と、いつもの切り口でバサリ。さらに「こういう政党の虚構、あしき特質を都民が多く知るということは、民主主義の健全な発展のために好ましいと思う」と、共産党にとってはまさに「侮辱的なひびきをもつ言葉」で締めくくった。

 思えば、こうしたものは、共産党ならずとも、大なり小なりやってしまうのが常。
 ひとのアイデアやコンセプトなどをパクり、ひと儲けする輩(やから)から、他人の持論をあたかも自分の哲学のようにいいとこ取りだけして披露する人をはじめ、地道な研究の成果をかすめとっていくものなど、数えあげればきりがない。
 そして今では、やったもの勝ちという非常識の常識さえできつつあり、厚顔なハイエナ類が幅をきかせている世の中でもある。
 あなたはハイエナ?それともハイエナに狙われる獲物?
(01・3/16)

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IT革命の旗手は経済革命の使者、
一転してバブル崩壊の代表者に

 日本が株安の記録を更新しているなか、ニューヨーク株式市場も例外ではなく、景気の急減速による業績懸念から、ハイテク関連を中心にほぼ全面安の展開となった。
 特にハイテク銘柄の多い店頭市場のナスダック総合指数は、2000年3月10日につけた史上最高値から、奇しくも1年後の同日に今年の最安値更新を開始、ちょうど1年で指数が6割も減少した。

 これまでバブルに酔ってイケイケ印を掲げていたインターネットサービスの最大手「ヤフー」が業績予想を下方修正したかと思えば、これまた「インテル入ってる」でバブリーだった半導体大手の「インテル」も業績の下方修正に加え5000人の人員削減を発表、さらに、ネットの普及でニンマリ顔が続いていた大手ネットワーク機器の「シスコ・システムズ」も最大8000人の人員削減を発表するなど、ハイテク関連企業は、儲けがどうにもとまらない状態から一転、バブル崩壊がどうしても止まらない状況に急転回を開始した。

 ちょっと前までは、IT革命の旗手=経済革命の使者とまで持ち上げられ、期待され、投資家たちは「未来の産業はこれしかない」と言わんかのように「買い」をすすめたが、その「気」もここにきて、しゃぼん玉がはじけるように飛んでしまった。
 そして、泡を立てようにも泡立て機の電源でもあったハイテク株が警戒水域に入って漏電しかねない状況は意外と深刻で、今や、これに感電しての世界同時株安が目前に迫ってきている風でもある。

 しかし、これはパソコンに代表されるコンピューター社会が崩壊を開始したというものではなく、その普及や、普及の勢いなどにタイミングとして運良く乗ったほんの一握りの企業の「繁栄の極」が、経済という観点ではじけ始めただけで、パソコンの利用増加およびそれに伴ったインターネットの普及、技術開発という本筋が、アウトになり始めたというものではない。
 この株価の下落は、いわばネットバブルに象徴される「ネットベンチャー」「ネットビジネス」「eコマース」等々に結び付けがちな偏性した時流や、それらの突出や占有傾向が一段落する、という潮流を垣間見せてくれているだけで、コンピューター社会そのものは、これからも、好き嫌いを問わず、否応なく、さらなる進化を繰り返し、経済という観点を超えたところで、わたしたちの生活にひとつの文化として根をおろすべく、深化するに違いない。
(01・3/11)

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「論外」「開いた口がふさがらない」「言葉がない」?

 森首相がアメリカ原潜事故発生時に「かけゴルフ」をしていたことについて、野党各政党の幹事長は「何をか言わんや」「開いた口がふさがらない」「論外」「言葉がない」と批判の言葉を口にしたが、そんな気取ったセリフを吐いて冷笑しているというほど、のんきな場合ではない。
 これまでも格好の腐敗材料が数々、国民の前にも明らかにされた。しかしながら、ついぞ追及しきれない野党のていたらく。

 何をか言い、開いた口を開け閉めして語り、論の内で堂々と論陣をはり、言葉を尽くす。
 これが今の野党に欠けているところだ。

 批判材料をテンコ盛りで、棚からぼた餅のように頂きながらも、野党然とした対応・対処の姿勢で旧態依然とした批判を繰り返す日々。

 政府や与党自らが墓穴を掘っているなか、国民の多くは、与党に失望しているのと同じくらいに野党にも失望している。

 その野党の姿は、国民からすれば、それこそ「論外」「開いた口がふさがらない」「何をか言わんや」「言葉がない」。(01・2/21)

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高知県怒る、が、あとのまつり?
海洋深層水利用の新商品発売でアサヒビールに憤慨、抗議

 高知県の橋本大二郎知事は、アサヒビールの樋口広太郎名誉会長に宛て、「室戸市沖の海洋深層水を利用して商品開発をしながら、富山県産の深層水で製造した発泡酒を発売することは、道義上あってはならないことだ」とする抗議文を送った。

 高知県は現在、深層水の利用では全国でもトップの座を独走中で、室戸市沖の海洋深層水は人気だ。
 高知県とすれば、この魅力を消費者のみならず企業にも売り込んで、深層水の商品開発につなげ、最終的には企業誘致にまで至らせたいところ。
 企業とすれば人気の深層水を用いて商品を製造し、付加価値販売でひと儲けしたいところ。
 橋本知事が樋口名誉会長に直接話を持ち込み、双方の利害が一致して、試作研究を行なった。

 県はせっせと、深層水関係のデータをアサヒビールに渡したり、アサヒビールから来る研究員などを「さわち料理」などでもてなして交流を深めた。
 しかし、一向に商品化の話は進まず、棚上げ状態になっていたところ、突然、アサヒビールが昨年末に「深層水を使った発泡酒『アサヒ本生』を2月に発売する」と発表。しかもその深層水は高知県ではなく、富山県で取水したものを使うという、高知県側にしてみれば、まさに「寝耳に水」の話。

 これに憤慨した高知県は、アサヒビールに「高知県が提供した深層水を使って研究しておきながら、深層水の利用申請書は提出せずに勝手に特許を出願し、唐突に富山県で取水した深層水を使った新商品を発表するなど、背信行為も甚だしい」と抗議。
 これに対して同社の担当部長らは、「高知の深層水はハードルが高いと判断し、富山のを使うことにした」と回答。特許についても「11月に出願済み。内容は見せられない」と、企業らしい対応を繰り返したために、「なめたらいかんぜよ」と沸点を高めて今回の抗議文騒動となった。

 高知県の場合、深層水を研究に供する際には「特許は県と共同出願する」などの同意事項を盛り込んだ申請書を提出させているが、アサヒビール側に対して再三提出を求めたものの出されないままになっていた、という。
 人道上は人柄のいい高知県に優位だが、文書がない以上、法的には同社の行為には何の問題もないのが現実だ。

 そればかりか、アサヒビールが出願した特許は、ビールや発泡酒など多岐に及ぶとみられることから、今後は逆に深層水を使った新たな地ビールづくりなども特許に触れて、作る場合は特許料を払わなければならなくなるか、むしろ製造できなくなる恐れもある。

 高知県海洋深層水対策室では「まさか大企業がこんなことをするとは」「アサヒを選んだのが失敗だったかもしれない」と頭を抱えている模様だが、「大企業だからそんなことをする」「やった者勝ち」という今の非常識が常識になっている現実をあまりにも知らなさすぎたようだ。

 これに関してアサヒビール広報部では「この件についてはこれまで誠心誠意対応してきた。今回の指摘は見解の相違によるものと思われ、大変に当惑している。今後、橋本知事をはじめ当事者の方々に説明し、ご理解をいただくよう努力したい」との定番のコメントを出している。
 なんだか「発泡酒」らしい泡沫な話ではある。
(01・2/3)

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オラが船頭だ!副大臣会議

 1府22省庁から1府12省庁に再編された中央省庁。
 96年に橋本竜太郎首相(当時)が提唱した省庁数を半分にする再編は、1985年の内閣制度導入後、戦後改革に次いでの行政機構の抜本改革とされた。
 政府は省庁再編の基本姿勢について、「国民本位の行政」「行政組織のスリム化を図り、行政の透明性を高める」と説明。与党自民党は「官僚支配から政策決定や行政運営を政治主導に転換する」「そのため、内閣府を新設して首相の権限強化を図る」とし、新省庁発足は「わが党の成果」と言わんかのように、「縦割り行政の弊害を排除するため省庁を整理・統合した」と、自慢気味だ。

 その中でも特に、中央省庁再編に伴って新設された副大臣のポストと、各省庁が実施する政策等の相互調整を行なう目的で設けられた副大臣会議は、与党自民党にとっては「官僚支配から政策決定や行政運営を政治主導に転換する」ための切り札のようで、「この副大臣会議を経ずして、表に出ていく政策はありえない」とぶち上げるなど、官僚によるこれまでの舵取りを奪う姿勢をアピール中だ。そして発足早々、いきおい官僚トップの事務次官会議を廃止し、意思決定機関を副大臣会議に一本化するとの声もあがるといったあんばいで、鼻息も荒い。

 「オラが船頭の舵取りだ」と言わんかの姿勢は極めて露骨だが、この船頭さんの位置づけを巡っては、省内は勿論、国民からも「政治主導の行き過ぎ」を懸念する声が出かねないため、まずは勇み足を引っ込めて、事務次官会議については、閣議にかける案件を確認する場としての存続を認めることにしたようだ。
 だが、「政治主導」をこの手で掴みたいという思いと、「この際、利権もしっかり確保したい」という野心も顕著のようで、副大臣会議には基本的に、事務次官や審議官、内閣官房は必要な時にしか参加させずに、各副大臣がそれぞれの担当にかかわる中長期的な政策課題を持ち寄って、政務官を交えて議論することを決めるといった状況で、早くもミミっチさが垣間見えているようでもある。

 副大臣会議サイドでは、今までのような形式的議論が中心の閣議や事務次官会議とは違い、実質の議論を展開する、としているが、今後、「オラが船頭の舵取り」が海路図やコンパスを喪失して迷路に迷い込みそうな雰囲気も漂っており、この省庁再編の鼻先には、芳(かぐわ)しく、かつキナ臭い利権はどっさりとぶら下っているものの、どうも「国民本位の行政」「行政組織のスリム化を図り、行政の透明性を高める」とした基本姿勢を貫徹する要素は、ぶら下ってはいなさそうだ。(01・1/12)

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軽口コラム
▼2000年の軽口コラムバックナンバー目次▼

錠前メーカーに特需?

日本おにぎり隊と米の減反

眠る2000円札、消えゆく宿命?

秘境・辺境「景気の谷」

ITを煽って、あとは野となれゴミとなれ?

たかが「株価」されど「株価」の動揺で、日本市場の侘しさ哀れ?

「出向」天と地、そして罪と罰

「にじみ出た本心? 散髪行動と運発言/正直な1日が最も輝いていた」

「土俵上は女人禁制」

「脱いだ!」大興奮

「国家公務員倫理規定が出来たものの」

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▼1999年の軽口コラムバックナンバー目次▼

「核燃料サイクル開発機構ってカルト集団?」

「介護(要介護)認定申請の受け付けが始まったものの」

「サバイバル大砂漠ラリーのパリダカ、コンピューターには勝てず」

「愛煙家さらに苦境に」

「タイミングは最悪?それとも絶好?」

「ユーモア外交と冷めたピザ外交」

「学級崩壊?」

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▼1998年の軽口コラムバックナンバー目次▼


「キツネとタヌキ」

「お米の減反が意外なところに貢献?」

「防衛庁の隠し芸」

「失笑をかう」

「コケにされた候補者たち」「橋げたの礎石」

「竹みつと空砲」

「政党の偽装結婚と偽装離婚」


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