【沖縄&基地関係】
普天間飛行場の返還と名護移設

沖縄上空の管制権、依然として米軍が管理。



普天間飛行場の返還と
名護移設

■沖縄県は1999年11月22日、宜野湾市の米軍普天間飛行場移設の候補地に「キャンプ・シュワブ周辺の名護市辺野古地区」を選定することを正式決定し、名護市の岸本建男市長に受け入れを要請。選定理由について知事は「基地の整理・縮小の着実な進行」「海域に飛行訓練ルートを設定することによる騒音の軽減」「空港機能を活用した産業誘致など地域経済発展の拠点形成」などが可能になると説明。「県内移設がベストではないが、目前の問題を解決するうえではベターな選択」とした。

 また沖縄県知事は11月25日、政府に報告。「米軍の使用期限を15年とすること」「周辺地域の振興や跡地利用について、立法を含めて特別な対策をとること」「代替施設の建設は、住民生活に配慮、自然環境への影響を極力少なくすること」「代 替施設は軍民共用空港とし、将来にわたって県民の財産となるものにすること」などを提示すると共に、在日米軍人が犯罪を犯した際、その被疑者を起訴前に身柄拘束することを認めていない日米地位協定の見直しと、米軍基地の計画的、段階的な整理・縮小に取り組むことも求めた。
 
 政府および自民党は、米軍の使用期限を15年とすることに関しては、「様々な要因と深く関係し、極めて厳しい」「今のところアメリカ政府と協議する考えはない」としているが、知事公約を踏まえ代替施設を「軍民共用空港」とする方針では一致。政府は、海上中心か、埋め立てかなどの工法の調整や使用期限の設定などについて今後、県と妥協案を探る。また、普天間基地返還問題に関連する沖縄県の経済振興策について、代替施設の建設地となる名護市など沖縄本島北部を対象とした振興策の第一次分として約100億円を2000年度当初予算に盛り込むと共に、今後10年間で総額1000億円を充てる方針も決めた。
 沖縄開発庁の予算として計上し、北部12市町村が要望している約80事業のうち、当面着手可能なものについての調査費、設計費などに充てる。そして「北部振興基金」の創設を打ち出したほか、 新たに制定する沖縄振興法で北部地域振興を推進する方針も明確に示した。

 これは、名護市長らの受け入れ容認の姿勢および受け入れ後の体制を後押しするために提示されたものだが、10年間にわたる対策費までも、政府が確約することは、「カネで合意させる」というのが常套手段ではあるにせよ、極めて異例のこととなった。

 これを受けて12月23日、名護市議会(定数30)は本会議で、代替ヘリポートの建設候補地への「移設整備促進決議案」を賛成17、反対10の賛成多数で可決。名護市長は、施設受け入れを12月27日に表明。反対派住民が反発を強める中、1996年4月に日米両政府が普天間返還で基本合意して以来、移設問題は3年8カ月ぶりに大きな節目を迎えた。

 ちなみに在日米軍専用施設の約75%が集中する沖縄県自らが、新たな基地建設を認めて候補地を示し、政府と一体になって動くのは初めて。
 しかし、名護市民をはじめ沖縄県民が「日米安保」に起因する問題で混乱を強いられるのは、戦後から今日まで変らずに続いている。

普天間飛行場の返還と移設をめぐって
 96年4月、普天間飛行場の県内移設による返還などを日米間で合意したSACOの中間報告で県内移設条件付きとされたため、県議会は同年7月、基地機能強化につながるとして県内移設反対を全会一致で決議した。大田前知事は昨年2月、政府の海上ヘリ基地建設反対を表明した際、この反対決議を理由の一つにあげた経緯もある。

 しかし、稲嶺知事体制になって沖縄県議会は10月15日の本会議で、「普天間飛行場の早期県内移設を求める要請決議案」を自民党などの賛成多数で可決。
 
県議会では与野党が徹夜の激しい攻防を展開したが、本会議の採決では、提案した自民、県民の会、新進沖縄の3会派と無所属の25人が賛成、社民・護憲など野党19人が反対し、これまで県内移設に反対だった公明2人は退席した。

 この要請決議案の可決を受けて県による移設候補地の選定は、1999年内決着に向けて、名護市辺野古地区の米軍キャンプ・シュワブ周辺を軸に一気に進み、名護市長は、年内の受け入れ表明を前提に、騒音などの基地被害の対策や政府の地域振興策の確約などの条件を提示するために、県側と日程などの事前協議を始めていた。

 稲嶺沖縄県知事は、移設先を政府に提示する際には、政府が難色を示している「軍民共用空港で米軍の使用期限は15年」の条件は譲らないことを強調。さらに政府が口にする普天間の跡地利用での特別立法や移設先の振興策発言に関しては、「抽象的な地域振興でなく1歩でも2歩でも掘り下げたい」など、意欲を示していたが、現実には15年使用の期限設定は、アメリカ側と日本政府の間の「了解事項」にも類する「最低でも40年は使用する」という申し合わせが存在し、アメリカ国防総省も「われわれは米軍の沖縄駐留期限を設けることを望んでいない」「使用期限を検討するのは時期尚早。日米両政府が時間をかけて協議する問題」と述べるなど、受け入れ困難との立場を示しているために、現実には無理、というのが実情だ。
 ただし、軍民共用空港に関しては「沖縄の人々の役に立つなら受け入れる」としている。

 いずれにしても「使用期限」に関しては、政府も期限を明確にしない方向で決着させる模様だ。

 また、名護市の岸本建男市長は、受け入れ表明の際、市長を辞任して出直し市長選に出馬することで受け入れの是非を市民に問う考えだったが、政府と県当局が市長に慎重な対応を強く求めたのに加えて、反対派住民によるリコール(解職請求)運動が予想された状況よりも広がっていないことから、市長を辞任しない意向を固めると共に、今後は、リコール署名が集まらないよう市民に理解を求めていく方針に転換した。

 一方、市長のリコール署名を準備している反対派は、「受任者が800人を超え、リコール後の市長選を想定した候補者の選考作業も詰めの段階に入った」「手続き的な面では、署名集めはいつでも取り組める態勢にある」ことを明らかにし、「なぜリコールが必要なのか」を市民に説明する街頭宣伝や看板の設置、地域での学習会の開催などを進めていく、としているが、依然として足踏み状態が続いている。

 アメリカ軍普天間飛行場の代替施設の使用期限を15年とするよう沖縄県と移設先の名護市が要求している問題についてコーエン国防長官は3月17日、日本記者クラブでの会見で「われわれは常に、実際の脅威に基づいて安保関係を討議しており、人為的な限定で決まるものではない。日本との安保関係も同じで、日本側もそうした政策を支持しているし、日米安保共同宣言によって順守されている」と使用期限の設定を明確に拒否する発言を行なった。
 沖縄県知事、名護市長ともに、県内移設受け入れの条件として「15年の使用期限設定」を明言しているが、実現不可能はこれで必至の情勢になった。

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沖縄上空の管制権、
依然として米軍が管理。

 那覇空港に発着する航空機を管制しているレーダーによる進入管制業務は、依然として米軍嘉手納基地が行なっている。
 嘉手納、普天間両飛行場に発着する米軍機の管制とともに、嘉手納基地上空の半径90キロ、高度6000メートルの空域、久米島上空の高度1500メートルの空域を「嘉手納ラプコン」と称して米軍が管轄している。

 その結果、那覇空港を発着する民間機は、高度約300メートル以下の超低空飛行を強いられ、安全に問題があるとパイロットらから指摘されている。
 沖縄旅行の際、飛行機がかなりの低空飛行をし、美しい海の風景を目のあたりにしている人も多いが、あれは、沖縄の美しい海を乗客に見せる航空会社の気配りではなく、日米の軍事管制が成せる業。

 日米合同委員会では沖縄が返還された1972年、「安全確保のためには、単一の施設によって進入管制を行なう必要がある」として、「日本政府が管制業務を行なうことができるまでの暫定期間」との限定つきで、民間機もこの空域では米軍の管制を受けることが合意された。

 その嘉手納ラプコンの航空管制は1972年の沖縄返還当時以来、日米両政府による合意で「暫定期間」との条件で認めたまま現在に至っている。

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●この問題に関して、アメリカのコーエン国防長官は3月16日、河野外相との会談で、管制業務を「米軍の運用上の所要が満たされることを前提に、日本側に移管してもよい」と、初めて「管制権の返還」をほのめかした。しかし、具体的な調整などの段取や日程は現在のところ不明。


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