農政機関や農協組織の動向や出来事

揺れる減反政策




揺れる減反政策

 1970年代からはじまった米の強制的な生産調整=強制一律減反は、農業現場に深い傷を残し、廃止か否かで今も揺れている。

 近年、特に減反が強化されたのは、1997年〜1998年。ミニマムアクセス米による過剰在庫感から、減反目標面積を1997年より2年間、減反総面積を96万3000ヘクタール(田んぼの総面積=約267万9000ヘクタール/減反面積はその内約36%)にし、減反を促すために、減反農家に米の値下がりによる減収分の8割を補填するなどの米政策がとられてきた。
 その稲作経営安定対策と米需給安定対策を柱にした米政策の具体策は、米余りには減反拡大で対応するほか、減反に従う農家や農村を対象に減収を補てんしたり、補償金(とも補償)を支払うというものだった。減収の8割補填の財源は、農家が米の基準価格の2%(60キロあたり383円)、政府が6%(60キロあたり1150円)を拠出し、その基金を元に補填する。また、10アールあたり5000円の加算金や5万円の転作補助金が受け取れるとも補償も、農家と政府の拠出で基金をつくり、農家の受取額の2分の1相当を政府が助成する。この稲作放棄にしか結び付かない施策に、2年間で約5000億円程度の税金が使用されていた。

 この減反強化に対しては、各地域の農家および単位農協などから「今後の食糧供給という観点から考えても、作れる田んぼを無理やりつぶせというのは、食糧の安全保障や自給の大切さを国内外に向けて主張する当局の姿勢からも矛盾しているし、人道的立場からも逸脱した無責任な政策だ」と疑問の声と反発する動きが広がった。当局は、その動きが具体的に表面化する兆しを察知すると、「逆らうと他の地方行政をめぐる補助金配分にも影響を与える」「全国とも補償なのだから、一個人や一単位農協の否定的な見解や協調性のない動きなどが、全国の農家の足を引っぱることになる」などの押し付け攻勢で減反割り当てを農家個々に強要。本来は「自主選択での減反」がうたわれていながらも、実態は、相変わらず「目の前に補助金というカネをぶらさげて食いつかせて従わせる」という今日に至る農政の施策パターンの原型が健在であることを示し続けていた。

 しかし、市場原理導入を進める必要に迫られて1999年4月から米輸入の関税化を政府決定したために、市場メカニズムの中で、強制的な減反政策そのものがつじつまの合わないものになると共に、毎年の米穀年度期末(10月末)の米の持ち越し在庫を減らし、2000年には150〜200万トンにする計画も、ミニマムアクセスによる輸入米が足かせになり、減反政策そのものの限界感が表面化した。

 その場しのぎの場あたり的農政の象徴でもあった強制的な減反政策は、30年を経て、場あたり的に幕をひくことになるのか、「本来の自主選択のできる減反」になるのか、それとも農協組織や地方自治体の利害で、相も変わらぬ「強制」の要素をそのまま残してしまうのかは、なお紆余曲折が予想されるが、その頓挫した米政策は、にわかに大豆・麦などの「転作誘導」を強化することに方針を変更し、再び「新たな助成金」による米の減反政策が打ち出されつつある。


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